「重たいものは軽々と、軽いものは重々しく」
これは、森下典子さん自伝エッセー「日日是好日」を映画化した「日日是好日」(クリックすると音が出ます)に出てくるセリフです。
お茶道具は、重たい物も軽い物もあります。
具体的に見ていきましょう。
重たい物、一番はお釜ですね。
炭点前では、釜を畳に上げて、炭をなおし、また釜を炉・風炉におろします。
鋳物なので釜自体も重たいですし、中に水が数リットル入り、さらに重たくなります。
※右上が「釜」、左上の蓋が開いているのが「水指」。
左下:「棗」の上に「茶杓」が置かれている。
次に重たいのは水指です。
運び点前のときは、茶室に持って入り座って畳に置き、終わると持って立ち上がり、持ち出します。焼き物で1リットル以上はお水が入ります。
表千家では、「一足立ち」と言って、両足と両膝をそろえて同時に両膝を曲げて、立ち座りをします。
そこに、両手に1キロ以上の物を持って、スッと立ち上がったり、すんなりと座ったりというのは、それなりに稽古を積んでおかないとできません。
もしも「よっこらしょ」と腰を曲げて、ようやく立ち上がるようでは、まず綺麗ではないですね。
いかにも、重たくて大変そうな姿を見せることは、お客様に失礼に当たりますしね。
重たい物を両手に持っていても、まるで軽い物を持っているかのように、スムーズに座り、スッと立ち上がるのが綺麗です。
一方、軽い物は、棗や茶杓は数十グラム程度。
軽いので、つい「ぞんざい」な扱いになってしまいがち。
そこを、丁寧に持ち、丁寧に置く、という所作を心がけます。
「重たいものは軽々と、軽いものは重々しく」なのです。
この言葉には、色々な解釈ができ、ここでは私が思う2つの意味をご紹介します。
1つ目は、重たい物も軽い物も同じように扱うということ。
重さというのは、物理的なグラムが重たいことと、高価だったり貴重だったりする「重さ」もあるでしょう。価格に関係なく、物は何でも大切にする心のあり方を示してくれています。それは茶道具に限らず、すべての人や物も同じだと解釈できます。
2つ目は、点前が流れるように綺麗な所作にということ。
重たい物を「よっこらしょ」とたいそうに持ち上げたり、軽い物をいかにもポンと軽々しく置く。想像してみてください、そういう所作は波があり、お客様も安らげません。流れるような点前で、気が付いたらお茶が点っていたくらいが、お客様にとっては心地よい空間となります。
実際に茶室だけではなく、日常でも「重たい物は軽々しく、軽い物は重々しく」持ち運びをしていると、自分の所作と心の中に、必ず変化があらわれます。
変化というのは、どんな物でも扱うときの所作がどことなく綺麗になり、物を大切にする心が育つことです。
こういうことは、「かたち」から入ると効果が表れるので、ぜひお試しくださいね。
「そういうことだったのか」と感じるのは、遠くない未来でしょう。