茶道の世界を文章で表現 茶の湯ライター 市川弘美
仕事に家事に追われる日々の中で、茶室という空間に正座をし、心を込めて点てられた一服のお茶に、幾度となく癒されてきました。
心にゆとりを持ってお茶をしているというよりも、お茶の稽古を重ねることで心にゆとりが生まれるのだと思います。
ほんの数十年前までは、茶道は花嫁修業として趣味として、習う人も珍しくはありませんでした。今は花嫁修業自体がなくなりつつあり、それとともに茶道人口は、減少の一途をたどっています。
人々の趣味や余暇の過ごし方は多様化し、ライフスタイルは「個」が尊重される社会になっています。
守り伝えられるべき日本の伝統文化が危機に面しているのは、茶道に限ったことではないでしょう。
私がお茶をとおして学んだことの中に、気づかいや思いやり、物を大切にする心、美しいものを美しいと感じる感性、掛け軸に見る禅の言葉などがあります。
このことからも茶道というものが、目に見えない形のない、精神性の高いものであることが分かります。
焼き物、漆器、鉄器、竹細工、指物などの道具は、目に見える形がそこにある物として、お茶を通して深くて広い知識を学ぶことになります。
「道をきわめる」という言葉がありますが、「お茶は一生が稽古」と言われ、「道」というのは果てしなくどこまでも続いています。
この一生続く長い道のりが、日本の伝統文化の奥行きや重厚さを表しているのだと思います。
日本の文化を誇りに思い、美しい文化に生きることに喜びを感じるのもまた、お茶の醍醐味といえるでしょう。
「道」には必ず「師」の存在があります。手取り足取り教えられるのではなく、繰り返す点前の稽古をとおして、やがて定められたとおりにお茶を点てられるようになるころ、お茶の心も自然とやしなわれつつあることに気づくのです。
人生において「師」と仰ぐ人を得ることは、尊敬の念の源になり、生きる目的を見失いそうになるとき、一筋の道を示してくれます。
茶道は、その多くが日常の実践のたまものであり、しかし目に見えない形なきもの。だからこそ、心の奥に深く刻まれ、日々の暮らしの礎となりうる、ありがたいものです。
一服のお茶には、場を整え、長い時間をかけて支度をし、心をこめて点てられた亭主のおもてなしの心が凝縮されています。それらを受け取るのも、また客側の努めでもあります。
心をかけ、その心を受け取るやりとりは、お茶をもって心が通い合うという、「個」ではなしえない喜びがあります。
茶道というと、かたくるしいイメージがあるかもしれませんが、形式ばった非日常ではなく、実際はとても楽しく、メンタルを整えてくれて、そして実用性があります。
そんな茶道の楽しさを多くの方に知ってもらって、「お茶っていいな、何だか楽しそう。」「お茶、やってみようかな」と感じてもらえると嬉しいです。
市川弘美